Diary
だらだらな日常
*2025.03.04 (Tue)... [PR]
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*2008.11.02 (Sun)... 凄い人
突然ですが。
凄い人っていうのは偉大な人でも、俗に言う立派な人でもなんでもない。
普通の人なんだと思います。
この前に見た凄い日本人では何年も掛けて中国の砂漠に緑をもたらした人が居ました。
遠山正瑛と言う老人でした。
戦争の時に日本は中国に酷い事をしました。
そして、そのことは中国で仕事をしたこともある彼の胸に深い哀しみを生み、
償いの機械を延々と探していたのです。
彼は最初近郊の村の人から蔑ろにされても、木を植え続けました。
死ぬ最後まで償い続けました。
本来これは、彼ではない、全ての人がやらねばならなかったことです。
それを彼はやり続けました。生涯を掛けて。
それ自体とても素晴らしいことです。でも、誰でも本気でやろうと思えば出来たことです。
でも、誰もやらなかった。
彼の行った行為は、中国に対する償いだけじゃない。
地球規模の問題にもなります。
世界の砂漠化。
本当は頑張れば砂漠化は防げることだと、彼は言いました。
私もそうだと思います。
彼は「地球をこんなふうにしたのは人間だだから、人間が何とかするべきだと。」
しっかりと覚えていないのですが、
労力のあるやつ労力を出す。
金のあるやつは金を出す。
命のあつやつは命を出す。
そうやっていけば変えられる。
と、そんな感じのことを言っていました。
まさしくそうですよね。
金のあるやつは自分のためにしか使わない。
労力があっても手伝わない。
命があっても、それに見合うだけのことを世界に返さない。
そうだから、今世界はこんな状態なんですよ。
私は、そこらへんで学者やらなんやらをやって権威だとか、立派だと言い、また言われている人は頭がいいとは思いますし、努力もしたんだろうと思います。
でも、凄い人だとか、立派だとは思いませんし、多分人として尊敬はしないでしょう。
でも、私は遠山さんような人は凄い人だと思う。
ただ、こんな風にいわゆる「凄い人」って言われる人を凄い人と感じるのは、その人が特別偉いわけじゃない。
やるべきことをやろうとして結果を残すことが出来たからなんですよね。
そして何よりも、それを誇りたいわけじゃない。
自分の為に、人の為に、何かの為に、必死に、一生懸命やった結果なんですよね。
つまり、やりたいことをやり遂げた。一つのことを信念をもってやる人が本当は凄い人なんですよね。
それにちょっと関連して。
さっき、途中から見始めたんで、詳しく分からないんですけどエチカの鏡っていう番組で、
自分の寿命がわずかだと知ったらどうするかみたいなのをやっていたんです。
ランディ・パウシェと言う人についてです。
なんか大学の教授で、ノーベル賞受賞者を多く出した大学の有名な先生で、
コンピューターの世界的権威だった人なんですが。
すい臓がんで余命3ヶ月~半年とされた時に大学を去って家族と過ごしました。
そのときに最後の授業をやりたいといってした授業が、
彼が教授としてやってきたコンピューター関連の授業ではなく、夢の話でした。
子供に夢を持って欲しい。
子供を抑圧するのではなく、やりたい事をやらせて欲しい。
そういう話でしした。
それは、講堂に集まった人々全てに言っていたのではなく、
将来に自分の子供に何も残すことが出来なくなってしまった彼が最後に自分の子供に残したメッセージでした。
自分の夢を叶えたければ人を助けなさい。
死を前にして、最後に彼が残したものは権威としての功績ではなく。
自分の子供や妻、両親への愛情だったように思います。
それがみんなの心を打った。
それは、彼自身が強い意志を持って愛情を残したから。
これも、また死を目の前にしながらもやりたいことをやり遂げた凄い人だと思います。
そう考えると、有名とか一般的に言われる凄い人じゃなくても、
誰もが凄い人になりうる…と言うか本当は凄い人なんだろうな。
と、ふと考えた。
うん。今日なにがあったとかじゃなくて唐突に思った話です。
凄い人っていうのは偉大な人でも、俗に言う立派な人でもなんでもない。
普通の人なんだと思います。
この前に見た凄い日本人では何年も掛けて中国の砂漠に緑をもたらした人が居ました。
遠山正瑛と言う老人でした。
戦争の時に日本は中国に酷い事をしました。
そして、そのことは中国で仕事をしたこともある彼の胸に深い哀しみを生み、
償いの機械を延々と探していたのです。
彼は最初近郊の村の人から蔑ろにされても、木を植え続けました。
死ぬ最後まで償い続けました。
本来これは、彼ではない、全ての人がやらねばならなかったことです。
それを彼はやり続けました。生涯を掛けて。
それ自体とても素晴らしいことです。でも、誰でも本気でやろうと思えば出来たことです。
でも、誰もやらなかった。
彼の行った行為は、中国に対する償いだけじゃない。
地球規模の問題にもなります。
世界の砂漠化。
本当は頑張れば砂漠化は防げることだと、彼は言いました。
私もそうだと思います。
彼は「地球をこんなふうにしたのは人間だだから、人間が何とかするべきだと。」
しっかりと覚えていないのですが、
労力のあるやつ労力を出す。
金のあるやつは金を出す。
命のあつやつは命を出す。
そうやっていけば変えられる。
と、そんな感じのことを言っていました。
まさしくそうですよね。
金のあるやつは自分のためにしか使わない。
労力があっても手伝わない。
命があっても、それに見合うだけのことを世界に返さない。
そうだから、今世界はこんな状態なんですよ。
私は、そこらへんで学者やらなんやらをやって権威だとか、立派だと言い、また言われている人は頭がいいとは思いますし、努力もしたんだろうと思います。
でも、凄い人だとか、立派だとは思いませんし、多分人として尊敬はしないでしょう。
でも、私は遠山さんような人は凄い人だと思う。
ただ、こんな風にいわゆる「凄い人」って言われる人を凄い人と感じるのは、その人が特別偉いわけじゃない。
やるべきことをやろうとして結果を残すことが出来たからなんですよね。
そして何よりも、それを誇りたいわけじゃない。
自分の為に、人の為に、何かの為に、必死に、一生懸命やった結果なんですよね。
つまり、やりたいことをやり遂げた。一つのことを信念をもってやる人が本当は凄い人なんですよね。
それにちょっと関連して。
さっき、途中から見始めたんで、詳しく分からないんですけどエチカの鏡っていう番組で、
自分の寿命がわずかだと知ったらどうするかみたいなのをやっていたんです。
ランディ・パウシェと言う人についてです。
なんか大学の教授で、ノーベル賞受賞者を多く出した大学の有名な先生で、
コンピューターの世界的権威だった人なんですが。
すい臓がんで余命3ヶ月~半年とされた時に大学を去って家族と過ごしました。
そのときに最後の授業をやりたいといってした授業が、
彼が教授としてやってきたコンピューター関連の授業ではなく、夢の話でした。
子供に夢を持って欲しい。
子供を抑圧するのではなく、やりたい事をやらせて欲しい。
そういう話でしした。
それは、講堂に集まった人々全てに言っていたのではなく、
将来に自分の子供に何も残すことが出来なくなってしまった彼が最後に自分の子供に残したメッセージでした。
自分の夢を叶えたければ人を助けなさい。
死を前にして、最後に彼が残したものは権威としての功績ではなく。
自分の子供や妻、両親への愛情だったように思います。
それがみんなの心を打った。
それは、彼自身が強い意志を持って愛情を残したから。
これも、また死を目の前にしながらもやりたいことをやり遂げた凄い人だと思います。
そう考えると、有名とか一般的に言われる凄い人じゃなくても、
誰もが凄い人になりうる…と言うか本当は凄い人なんだろうな。
と、ふと考えた。
うん。今日なにがあったとかじゃなくて唐突に思った話です。
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